何もない部屋で
沈黙とつり合う言葉を探して
きっとどこにもいかずに、どこにでもいる
書きたいことはもうないのに
まだ言葉を探している
文章で飯を食べたいから
ありもしない空白に物語を見いだすのはもうたくさんだ
ただ静かな命でありたい、魂と共に
何もない部屋で待ち続けている
「小説家なんてみんな詐欺師だ」
嘘日記9:あしたはあたし
そんなに懐かしい気持ちにならないでよいのに
歩いていて きっとそうだったんじゃないかと
慣れない バスケットボールのドリブルのよう
記憶は跳ねる 転がって 思いもよらぬ方へと
自分の人生を生きるのはなかなか大変なことだ
「宇宙のことなんて かんがえてみたりして」
もうすぐ冬になっていく 世界との距離として
あしたはあたし も少し上手く生きられるかな
嘘日記:7:運が良い奴が呪いを身に受けるとは思えんがな
しろがねの城を尋ねるのは初めてのことだったから、呪いを身に宿した人物は入場にあたって占師の許可を得る必要があることを僕は知らなかった。
「占師は城下町を抜けた谷底にいる、運が良ければ会えるだろう」門番は鬱陶しそうな表情で言う。「運が良い奴が呪いを身に受けるとは思えんがな」
とにかく寒い日だった。もうじきこの国に長い冬がやってくる。冷たい風が吹くたびに、城下町の木々から枯葉が舞い落ちた。
嘘日記6:穢れ
21XX年、ついに国内で完全試験管ベビーとして生まれた人の人口が、自然妊娠で生まれた人の数を超えた。
喫茶店のテレビモニタでは、その記念すべき日に試験管ベビーを授かった黒人夫婦が嬉しそうにインタビューに応えている様子を映していた。
「自然妊娠という非人道的な役割を女性に押し付けていた時代は、人類の歴史において恥ずべきことです」と男が横目で妻を見遣って、言う。
女は愛おしそうに新生児用ベッドで眠る我が子を見つめ、「パートナーに自然妊娠を希望する男性は、ぜひ自分に人口子宮を移植することを検討してもらいたいですね」と笑う。
「……ねえ、聞いてる?」と彼女が僕に問いただす。
「ああ、ごめん……なんだっけ?」僕はテレビに集中しすぎていて、彼女が化粧室から戻ってきて話しかけてきたことに気づかなかった。
「リアルで会うのか、バーチャルで会うのか。どっちにするか、決めた?……来月、お義父様とお義母様に、会いに行く話」
ああ、うーん、と言って僕は答えを濁す。
「それなんだけど、じつは父親が事故にあって、入院することになったらしくて」
「えっ。そうだったの?」彼女は驚き、心配そうな顔をする。
「うん、大した怪我じゃないらしいけど、予定してた連休の日には退院できそうにないらしくて」
ていの良い言い訳だった。先日、僕は彼女が自然妊娠で生まれた過去を持っていると知ってしまった。
その日から僕は、なんとも言い難い違和感を彼女に対して持つようになった。無意識レベルでの嫌悪感というか……穢れのような感覚だった。
「そうなんだ……じゃあ、今度の連休は、どうする?」
僕は、そうだなぁと考えるそぶりをしてから、実は連休に仕事に出ないといけないかもしれない日ができちゃってさ、と言う。
「……そっか」彼女はがっかりした様子で俯く。
僕はなんでもない風を装って、けれど一つの決断を胸に、熱いコーヒーをごくりと飲み干した。
嘘日記4:あの洪水は私に、私が想像できなかった世界があるんだと教えにきてくれたんだ。
今日は昼過ぎまで寝て、干し芋を食べてみたい気持ちになったので西友に買いに行って3パックも食べた。
昼寝してから、散歩しようかなと思って下北沢の方へ向かって歩くことにした。14時だけれど日はだいぶ傾いていて、けれど陽のあたたかさは失われていなくて浴びていると心地よかった。
30分ほどで下北沢に着いて、もっと歩きたくなったのでそのままひたすら北に向かって歩き続けてみた。もともと散歩は結構好きなのだけれど、さすがに下北沢より北は全く歩いたことがなくて、新鮮な気持ちがした。
東北沢を抜けてまだ歩き続けると幡ヶ谷に出て、車道の標識に中野と新宿へ続くことを示す表示があった。中野や新宿なんて、徒歩圏内のはるか先にある気がしていた。なんだかすごく嬉しい気持ちになって、よーし中野まで歩いてみるか、と思って頑張って歩いた。気候も体調もよくて、ずんずんと、どこまでも歩けそうな気がした。
しばらく歩き続けて、とうとう中野にたどり着いてしまった。汗ばんだシャツのままあ中野でやりたいこともないので、マルイでトイレを借りた後に来た道を戻ることにした。
このまま帰るのも少しもったいないな、と思ってたところ、少し歩いたところで図書館まで500mと書かれた標識をみつけて、足も疲れたしと寄ってみることにした。
中野区の図書館はすごく大きくて驚いた。でも、中にはほとんど人がいなかった。ドアが開閉する音が鳴り止むと、しーん、という音が聴こえた。
別に読みたい本もないし、とにかく足が疲れていたので、座れる場所がありそうな方へ歩いて、伝記や宗教本のコーナーのところへたどり着いた。
適当な本を手にとって席に座って、ふくらはぎを揉む。ふくらはぎは酸欠でびっくりするくらい血管が浮いていた。膝の少し上のあたりも親指でぐいぐいと強く押して筋肉をほぐした。筋肉がどくどくと脈打つように動いて、わずかだけれど疲れが楽になった気がした。
しばらく座っていたけれど手持ち無沙汰になって、棚から持ってきた本をパラパラめくってみると、なにかの説話のようなエピソードが書かれていた。
ーー
あるところに彫刻家がいた。大変腕が良く、大金持ちから常に注文があった。
その評判を聞きつけたある豪族が、一族の像を彫ってくれないかと巨大な岩を運んできた。完成したあかつきには、一生遊んでも使い切れないほどの報酬も与える、とのことだった。
一族全員の像を完成させるとなると10年はかかるだろうが、彫刻家は自分の生涯の仕事の集大成にしたいと、その注文を受けた。
彫刻家は全身全霊をかけて彫刻を掘り進めた。5年ほど経ったころには半分が完成し、それを見た人々は歴史に残る大傑作になるだろうと口々に絶賛した。
ところが、大きな洪水が起こって作成途中だった像が流されてしまい修復不能なほどに壊れてしまった。豪族もその影響で没落してしまい、彫刻家への報酬はほとんど与えられなかった。
生涯をかけた仕事が頓挫してしまい、彫刻家の妻は、夫が失意のどん底に沈んでいるのではないかとを心配した。だが、当の本人はむしろ生き生きとしていた。妻が理由を尋ねると、彫刻家は言った。
「あの像が完成したら、私は彫刻を辞めて余生を遊んで暮らすつもりだった。毎日、それだけを考えて彫刻を作っていた。
だが、あの像は完成しなかった。もちろん最初は落ち込んだけれど、そのおかげで私はあれを超える作品を作らなくてはという情熱を得ることができた。あの洪水は私に、私が想像できなかった世界があるんだと教えにきてくれたんだ。恨むどころか、感謝してもしきれないくらいだ」
ーー
図書館を出ると外はもう真っ暗だった。しばらく歩いたけれど夜風で体が冷えてきて、さすがに帰りはバスに乗ることにした。
やっと家に着いて熱いお風呂に入ってから、家を出る前に準備していたご飯を温めて食べた。それからなんとなく気になって、今日歩いた距離をGoogleMapで調べてみると、11キロも歩いていた。
やっぱり自分は歩くのが好きだなあと思って、なんだか自分のことがもっと好きになったような気がした。